エッセイ
地位不安とは何か、そして何がそれを育てているのか
地位不安とは、自分が他人の目にどう映っているか、その序列をめぐる不安のことです。この感覚に名前を与えたのはアラン・ド・ボトンで、2004年の本のなかで飾らずにこう定義しています。「私たちが他人からどう思われているかについての不安。成功者と見なされるか失敗者と見なされるか、勝者か敗者か、についての不安」(de Botton 2004、訳)。彼はそれを虚栄心とは呼びません。人が序列を気にするのは、序列によって扱われ方が変わるからです。ほとんどの人は、こちらの地位の量に応じてこちらに親切にする。彼はそう書いています。
つまり地位不安は、現に存在する仕組みへの、理にかなった反応です。だから「気にするのをやめなさい」と言われても収まりません。減らしたいなら、仕組みのほうを変えるしかない。このエッセイでは、その仕組みが人に何をしているのかを証拠が実際にどこまで語っているか、どこが強くどこが争われているか、そして称えるものが一つではなく複数になったときに何が変わるのかを見ていきます。
序列は、国よりも先に、身近な場所で決まる
後の研究の多くが乗っている観察を示したのはロバート・フランクです。Choosing the Right Pond(Frank 1985)で彼は、人は分布の全体ではなく、すぐ周りにいる人と自分を比べると論じました。小さな池の大きな蛙でいるか、大きな池の小さな蛙でいるか。その選択が苦しいのはそのためです。
ここから飛ばされがちな帰結が出てきます。序列が身近な場所で決まるなら、社会がいくつの池を持つかは設計できる変数になります。自然の事実ではありません。位置的財の側の議論は希少なのは、地位のほうだで書いたので、ここでは繰り返しません。ここで付け加えたいのは、健康研究がこの三十年ほど静かに検証してきたほうの問いです。梯子は、その上に立っている人の身体に何をするのか。
日本語には、この不安を名指す語がすでにあります。世間体です。そして日本の池は所得だけで区切られてきたわけではありません。学歴や勤め先の格が、長いあいだ同じ役割を果たしてきました。人並みという言葉は、比較の基準がどれだけ身近かをそのまま言い当てています。
毒は、低い位置そのものではない
生物学の通俗版は単純です。低い順位は慢性的なストレスを生み、慢性的なストレスは健康を損なう。だから序列は身体に悪い。この筋書きの最も引かれる出所であるヒヒの野外研究を行ったロバート・サポルスキー自身が、研究者人生の多くをこの単純さの解体に費やしてきました。
その仕事のなかで最も明快なのが、彼を含む十一人の霊長類学者による比較分析です。協同繁殖するマーモセットやタマリンから、アカゲザル・ヒヒ・リスザルの大きな複雄複雌の群れまで、七種の基礎コルチゾール値を標準化し、安定した順位序列における劣位個体と優位個体の比として表しました。劣位のストレスが高くなるかどうかを予測した変数は二つでした。「劣位個体の相対コルチゾール値が高くなるのは、(1) より高い頻度でストレス源にさらされているとき、(2) 血縁を含む社会的な支えを得る機会が減っているとき、であった」(Abbott et al. 2003, Hormones and Behavior、訳)。順位そのものはコルチゾールの差を予測しませんでした。予測したのは、嫌がらせを受ける頻度と、誰かのところへ行けるかどうかです。
サポルスキー自身がScience誌で同じ問いを見渡したときも、答えのかたちは同じでした。序列が人に何をするかは、その序列がどう運営されているかによって決まる(Sapolsky 2005)。
社会的な側面は、やわらかい話ではありません。Science誌の大規模な種横断レビューは端的に述べています。「幼少期と成人期の双方における社会的環境は、ヒトにおける罹患と死亡のリスクを予測する最も強い要因の一つである」。そして動物実験は、社会的な相互作用が「動物の生理、疾病リスク、そして寿命そのものを因果的に変えうる」ことを示しています(Snyder-Mackler et al. 2020、訳)。他者のなかでどこに座っているかは、人生の上に載った飾りではありません。組織にまで届きます。
ですから生物学は、序列をなくせとは言っていません。序列が有害になる条件を具体的に名指しています。自分に手を出せる上位者に絶えずさらされ、しかもそれを一緒に受け止めてくれる人がいないときです。この二つを覚えておいてください。最後に戻ってきます。
人口レベルの主張と、その論争の正直な現状
リチャード・ウィルキンソンとケイト・ピケットは次の一歩を進め、国全体のレベルで論じました。より不平等な社会は健康でも一連の社会的な指標でも成績が悪く、その経路は地位の比較を通る、と。二人自身の因果レビューは「証拠の総体は、所得の不平等が人口の健康と幸福に影響することを強く示唆する」と結論しています(Pickett & Wilkinson 2015, Social Science & Medicine、訳)。
これへの批判は本物で、私たちはそれをやわらげません。反対側で最大の系統的レビューは、集計・マルチレベルの98研究を検討したうえで、「豊かな国のあいだでも内部でも、所得の不平等が人口の健康差の主要で一般化可能な決定要因であるという考えを支える根拠は、ほとんどないように見える」と結論しました(Lynch et al. 2004, The Milbank Quarterly、訳)。同じ著者たちは、最も強い根拠である米国の州間比較でさえ結果はまちまちだと書いています。
その中間にあるメタ分析が、この分野でいちばん使える数字です。近藤尚己らは、5,950万人を含む9件のコホート研究と128万人を含む19件の横断研究を統合し、ジニ係数が0.05上がるごとの死亡の相対リスクを1.08(95%信頼区間 1.06–1.10)と算出しました。彼らはこれを「所得の不平等が健康に及ぼす、穏やかな悪影響」と表現し、地域の測定されていない特性を考慮すると関連が弱まることを報告し、およそジニ0.3を超えたところから影響が現れるという閾値仮説を支持しています(Kondo et al. 2009, BMJ、訳)。
そして経路そのもの、つまり私たちの関心がある部分です。リチャード・レイトとクリストファー・ウェランは、ヨーロッパ31か国・3万4千人あまりのデータで地位不安の仮説を直接検証しました。弱い形は成り立ちました。所得順位のどの地点で比べても、不平等の低い国の回答者のほうが地位不安を低く報告したのです。強い形、つまり不平等が自分の順位の効果そのものを鋭くするという想定には、支持が見つかりませんでした(Layte & Whelan 2014, European Sociological Review)。
後続の研究は、同じ考えを血液のなかまで追いかけました。英国・アイルランド・ポルトガル・スイスの50歳から75歳、18,349人の調和データを用いたところ、平均CRP値は四か国のうち所得不平等が最も高いポルトガルで最も高く、スイスで最も低くなりました。生活習慣で調整すると社会経済階層間の差は45〜52%縮みましたが、国ごとの違いは説明できませんでした(Layte et al. 2019, Scientific Reports)。
四つを並べたときに責任をもって言えることは、狭いものです。不平等が人口の健康の主因だという強い主張は、リンチらの前で残りません。単一の急な梯子の下で暮らすことは人にとって測れるほど悪く、それは炎症にまで現れるという穏やかな主張は、近藤・レイト・レイトの前で残ります。私たちは穏やかなほうの上に立ちます。都合のいいほうを引用するより、そう言うほうを選びます。
なぜ、お金が全員を乗せる梯子になったのか
ここまでの健康研究が問わない問いが、その下にあります。社会が人を序列づけうるものは数あるのに、なぜお金がその役目を取ったのでしょうか。
ソースティン・ヴェブレンは1899年に答えています。その答えは機構の話でした。村では、あなたの立ち位置は人々が何年もかけて知っていることの上に乗ります。都市ではそれができません。あなたについて意見を形づくる人のほとんどは、あなたの生活を見ることがないからです。「機械的な意味での隣人が、社会的には隣人でも知人でもないことがしばしばある。それでも彼らの束の間の好意には高い効用がある。日々の生活を共感なく眺めるこうした観察者たちに自分の金銭的な力を印象づける唯一の実際的な手段は、支払い能力を絶え間なく示しつづけることである」(Veblen 1899, The Theory of the Leisure Class, 第4章、訳)。
お金が勝ったのは、それが見知らぬ人にも読めるからです。一つの数字が人生をまるごと圧縮し、あなたのことを何も知らない相手が、靴を見て一秒で読み取れる。ほかにこの速さで伝わるものはありません。介護の腕前は、通りすがりの相手には伝わりません。長年の手仕事も、誰かのそばに十年居つづけたことも同じです。
見知らぬ人にも読めることこそが、たくさんの身近な梯子を一本にまとめてしまいます。フランクの小さな池には出口があります。自分の仕事が理解される池を探せばいい。単一の共通の尺度には出口がありません。どの部屋に入っても同じ尺度が待っているからです。ド・ボトンの読者が身に覚えのある仕組みは、そうやって組み上がりました。誰かが決めたのではなく、読み取りやすさの都合が組み上げたのです。
複数の称え方は何を変え、何を変えないのか
霊長類の研究が特定した梃子は、ストレス源にさらされる頻度と、支えを得られるかどうかでした。経済学が三つ目を加えます。池がいくつあるか。設計に使えるのは、この三つだけだと私たちは考えています。
池が増えるとは、その人が実際に何をしたかが、それを判じる力のある人たちによって判じられる場が増えるということです。比喩ではありません。研究分野も、職人の集まりも、町内会も、保守者のメーリングリストも、すでにそういう場です。支えとは、承認を授けるのが、その後も関係を続ける仲間だということです。そしてその名誉は換金できないままでなければなりません。それが称えることは、値段ではないで書いた議論です。立ち位置が換金できるようになった瞬間、それは出発点だった単一の読みやすい尺度へと畳み戻り、ヴェブレンの見知らぬ人がまたそれを読めるようになります。
これで地位不安がなくなるとは言えません。複数の承認の生態系が築かれ、測られたと言える証拠は、上のどこにもありません。築かれていないからです。健康研究が扱っているのは所得の不平等であって、名誉ではありません。フランクの池は残酷にもなりえます。門番が三人しかいない小さな分野は、大きな分野より判じられる場としては悪い。それも同じ文献が教えてくれることです。妬みは、一つの設計で解ける種類の問題ではありません。
地位不安の量は社会によって違い、梯子が一本しかない社会では強く出ます。そこに上位者にさらされる度合いと、隣に立つ人がいるかどうかが重なります。どれも人が築いたものですから、別の築き方もできます。私たちが提案しているのは、その築き直しです。
参考文献
- de Botton (2004), Status Anxiety, Hamish Hamilton / Pantheon — https://www.alaindebotton.com/status/
- Frank (1985), Choosing the Right Pond: Human Behavior and the Quest for Status, Oxford University Press — https://global.oup.com/academic/product/choosing-the-right-pond-9780195049459
- Abbott, Keverne, Bercovitch, Shively, Mendoza, Saltzman, Snowdon, Ziegler, Banjevic, Garland & Sapolsky (2003), “Are subordinates always stressed? A comparative analysis of rank differences in cortisol levels among primates”, Hormones and Behavior 43(1), 67–82 — https://doi.org/10.1016/S0018-506X(02)00037-5
- Sapolsky (2005), “The Influence of Social Hierarchy on Primate Health”, Science 308(5722) — https://www.science.org/doi/10.1126/science.1106477
- Snyder-Mackler et al. (2020), “Social determinants of health and survival in humans and other animals”, Science 368, eaax9553 — https://www.science.org/doi/10.1126/science.aax9553
- Pickett & Wilkinson (2015), “Income inequality and health: a causal review”, Social Science & Medicine 128, 316–326 — https://doi.org/10.1016/j.socscimed.2014.12.031
- Lynch, Davey Smith, Harper, Hillemeier, Ross, Kaplan & Wolfson (2004), “Is income inequality a determinant of population health? Part 1. A systematic review”, The Milbank Quarterly 82(1), 5–99 — https://doi.org/10.1111/j.0887-378X.2004.00302.x
- Kondo, Sembajwe, Kawachi, van Dam, Subramanian & Yamagata (2009), “Income inequality, mortality, and self rated health: meta-analysis of multilevel studies”, BMJ 339, b4471 — https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2776131/
- Layte & Whelan (2014), “Who Feels Inferior? A Test of the Status Anxiety Hypothesis of Social Inequalities in Health”, European Sociological Review 30(4), 525–535 — https://doi.org/10.1093/esr/jcu057
- Layte, McCrory, Ní Cheallaigh, Bourke, Kivimäki, Ribeiro, Stringhini & Vineis (2019), “A Comparative Analysis of the Status Anxiety Hypothesis of Socio-economic Inequalities in Health Based on 18,349 individuals in Four Countries and Five Cohort Studies”, Scientific Reports 9, 796 — https://www.nature.com/articles/s41598-018-37440-7
- Veblen (1899), The Theory of the Leisure Class, 第4章 “Conspicuous Consumption”(パブリックドメイン) — https://www.gutenberg.org/files/833/833-h/833-h.htm