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写真: Joakim Honkasalo(Unsplash)

エッセイ

インパクト・エコノミーとは何か

2026年9月17日9 分

インパクト・エコノミーとは、企業が人と地球に与えた影響を、稼いだ額と並べて数える経済のことです。この言葉には持ち主がいます。インパクト・エコノミーの構築を掲げる国際団体GSG Impactは、それを「投資・事業・消費・政府支出のすべての意思決定において、インパクトが中心に据えられている経済」と定義しています(GSG Impact、訳)。四種類の意思決定に、判断基準をひとつ足す。考え方そのものはこれだけです。

新しい言葉ですが、動いている資金は小さくありません。そして、その足元には未解決の測定の問題があります。順に見たうえで、私たちがこの潮流のどこに立っていないのかを、はっきり申し上げます。私たちはしばしばこれと同じものだと受け取られますが、同じではありません。

日本はすでに配管を敷いた

日本の動きは早く、しかも英語圏の議論とは組み立てが違います。

金融庁は2022年10月に「インパクト投資等に関する検討会」を立ち上げました。座長は東京大学大学院経済学研究科の柳川範之教授、会合は計8回。指針案への意見募集には43の個人・団体から回答が寄せられ、2024年3月29日に「インパクト投資(インパクトファイナンス)に関する基本的指針」が和文・英文で確定・公表されています(金融庁)。

その4か月前、2023年11月には、投資家・金融機関・企業・自治体が同じ場で議論する常設のインパクトコンソーシアムが立ち上がりました。事務局は金融庁、共同事務局は経済産業省です(インパクトコンソーシアム)。

注目したいのは組み立て方です。コンソーシアムが掲げるのは「インパクトの創出を成長機会に結び付ける好循環」であって、犠牲の物語ではありません。インパクトと事業を対立させず、同じ側に置いた。そのうえで二年かけて、その主張を実務に落とす文書を書きました。好循環が本当に閉じるかどうかは、十年単位でしか答えの出ない実証の問いです。ただ、制度の設計としては筋が通っています。

親にあたる言葉と、その金額

インパクト・エコノミーの前に、インパクト投資という言葉がありました。GIIN(Global Impact Investing Network)の説明では、インパクト投資とは「財務的リターンと並んで、前向きで測定可能な社会的・環境的インパクトを生む意図をもって行われる投資」を指します(GIIN、訳)。効いているのは「意図」と「測定可能」の二語です。

2024年10月、GIINは世界のインパクト投資市場の規模を1兆5,710億ドル、運用主体は3,900を超えると発表しました(GIIN 2024)。

よく引用されるのはこの数字までです。その隣にある一文はほとんど引かれません。GIIN自身が、重複と間接投資を除き、必要に応じて標本から推計を積み上げて「よく検討された推計値」に到達した、と書いています。入口は自己申告の意図であり、どの資金が数に入るかを外から裁定する審判はいません。数字が水増しだと申し上げているのではありません。それは資金の出し手が掲げた意図を測ったものであって、誰かの身に何が起きたかを測ったものではない、と申し上げています。

「投資」より「エコノミー」が重い理由

GSGはインパクト・エコノミーを五つの柱で説明します。資金需要、資金供給、仲介、エコシステムの担い手、そして政府です。同団体は40を超える国内パートナーを通じて世界人口の60%をカバーし、その半数以上が新興国にあるとしています(GSG Impact)。

問題の大きさを変えるのは、政府という柱です。投資家は参加を選べますが、公共調達の担当者や店先に立つ消費者はすでに経済の中にいて、降りることができません。資本にインパクトを考慮させるところまでは市場の問題で、経済全体にそうさせようとすると、政策とデータと家計の問題が同時に押し寄せます。壊れ方はそれぞれ違います。

足元にある会計の問題

ここが、この分野のいちばん地味で、いちばん難しい仕事です。

IFVI(International Foundation for Valuing Impacts)は2024年2月22日、『General Methodology 1: Conceptual Framework for Impact Accounting』を最終版として公表し、貨幣価値への換算をインパクト会計の土台に据えました(IFVI)。温室効果ガス、水の消費、適正賃金、労働安全衛生については個別の方法論が続いています。

貨幣価値への換算が実務で何を意味するかを見てください。炭素一トンに金額がつきます。支払われた賃金と家計に必要な賃金の差にも、労働災害にも、同じように金額がつく。そうしてはじめて、それらは売上と同じ列に並び、足し算ができるようになります。

ここで冷笑するのは簡単で、そして間違いです。インパクト会計は現実の問題に対する真面目な取り組みですし、資本にインパクトを見せるなら、資本が読む単位で見せるほかありません。ハーバード・ビジネス・スクールのジョージ・セラフェイムをはじめ、この作業を進めている人たちは自分が何を作っているかを取り違えてはいません。

それでも、方法が何をしているかは見ておく必要があります。インパクトを会計に載せるために、インパクトを値段に変える。そして値段は、称えることとは違うふるまいをします。その違いと、それを示す研究については「称えることは値段ではない」で詳しく書きました。善い行いを損なうのは見られることではなく、値段がつくことです。インパクト会計は設計上、値付けの作業ですから、彼らの目的にはこれでよく、私たちの目的には使えません。

台帳が届かないところ

ここが、私たちがこの分野と分かれる地点になります。批判としてではなく、担当が違うという意味で書いています。

インパクト・エコノミーは台帳が記録する範囲を広げます。台帳が何であるかは変えません。

お金は社会の記憶の一種で、あなたが誰かのために何をしたかを持ち運べる形にした記録です。そしてこの記憶には決まった死角があります。売られたものを記録し、贈られたものを忘れる。「お金は記憶である」で論じたとおりです。インパクト・エコノミーは、いまある記憶より良い記憶です。それでも記憶するのは取引です。

だから、そこに決して載らないものを考えてみてください。勤務時間を過ぎても残った看護師のことです。深夜二時に友人の電話を取った人のことでもあります。そうした行いはファンドもサプライチェーンも納税申告も通らないので、会計基準がどれほど良くなっても手が届きません。方法論があとで埋める隙間ではなく、台帳とはそういうものだということです。

だから二つの営みは、補い合う別のものだと私たちは考えています。インパクトに値段をつける仕事は、資本のふるまいを良くするためのもので、真剣な資金と厳密さをもっていま進められています。もう一方の、自分の一生は何のためだったかを一人ひとりが決めるほうの仕事に取り組んでいる人は、ほとんどいません。

資本主義は富を生むエンジンで、私たちが手をつけたいのはその向きを決める羅針盤のほう、つまり文化です。エンジン自体は問題ではありませんし、インパクト・エコノミーはそのエンジンの調整ですから、私たちはそれを歓迎します。ただ羅針盤は別の計器で、別の材料から作らねばなりません。仲間から授けられ、複数あり、けっしてお金に換えられない承認からです。換えられるようになった瞬間、それは第二の通貨になり、問題はそっくり元へ戻ってきます。

私たちが言い張っていないこと

インパクト・エコノミーが失敗するという予言ではありません。分かりませんし、いま誰かに分かるには早すぎるというのが正直な答えです。1兆5,710億ドルは、掲げられた意図の総量として本物の数字ですし、基準づくりも本物の仕事です。

測ることを否定する話でもありません。炭素をうまく測れない世界より、うまく測れる世界のほうがましです。賃金の差を、取締役会が目を通す数字に変える退屈な仕事は、誰かがやらねばなりません。

称える文化のほうが簡単だ、という主張はもっとしていません。私たちはまだその実験を済ませていませんし、規模をもって試した者もいません。

私たちが言い張っているのは狭いことです。インパクト・エコノミーは、事業が及ぼしたものに値段をつけて、資本がどこへ向かうべきかを示す方法です。一生が何のためだったかという問いに答えるようには設計されていませんし、答えられなくて当然です。二つの問いには二つの計器が要ります。いま1兆ドル規模の資金と基準設定団体がついているのは、そのうちの一つだけです。

参考文献

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