エッセイ
お金で幸せは買えるのか、2023年の答え
買えます。ほとんどの人にとって、収入が増えれば幸福度は上がり、これまで提案されたどの閾値を越えても上がり続けます。ただし一ドルあたりの効きは落ちていきます。幸福度は収入そのものではなく、収入の対数について上がるからです。同じだけ上向かせるには、収入を倍にする必要があります。そして、この効果が止まる人たちがいます。二〇二三年の研究で、その人たちがおおよそ誰なのかが分かりました。世間で言われてきた答えとは違いました。
この議論の経緯は「対数の曲線」に書きました。七万五千ドルという通説がどこから来て、なぜもう成り立たないのかもそちらにあります。ここでは別の二つをやります。二〇二三年の結果を細かく読むこと。そして日本を見ることです。日本はイースタリン・パラドックスの最有力の証拠とされてきましたが、原資料に当たった研究者によってその足元が崩れています。
二〇二三年に決着したこと
マシュー・キリングスワースとダニエル・カーネマンは、この問いに正反対の答えを出していました。二人は誌上で論争する代わりに、バーバラ・メラーズを調停役に立てて敵対的共同研究を行いました。何を証拠として認めるかを先に合意したうえで、キリングスワースのデータを一緒に読み直したのです。対象は米国の就業者三三,三九一人、スマートフォンにランダムな時刻で通知を送って集めた一,七二五,九九四件の瞬間報告でした(Killingsworth, Kahneman & Mellers, 2023)。
よく引用されるのは「最も不幸な層では十万ドルを超えると横ばいになる」という一文です。この短い文から、二つの点が抜け落ちています。
一つ目。分けているのは収入ではなく、幸福度です。横ばいになるのは、各収入層のなかで幸福度が下位一五%の人たちです。所得が下位一五%の人たち、ではありません。論文の読み方は、この層はお金では届かない何かを抱えており、物質的な問題が片づいた先では、それ以上のお金が効かなくなる、というものです。
二つ目のほうが、「足るを知る」という物語には都合が悪い点です。論文の言葉では、幸福度は「より幸福な人々のあいだでは log(収入)とともに着実に上昇し、最も幸福な層では加速さえする」。各収入層で幸福度が上位三〇%の人たちでは、十万ドルを超えたあとの傾きが緩やかになるどころか、急になります。
つまり正直な要約は、どちらの側にも心地よくありません。最も不幸な六分の一の人たちが抱えているものに、お金は届きません。そしてすでに順調な人たちについては、測定された範囲に上限が見当たりません。この論文を「お金はある地点から効かなくなる証拠」として引くことは、できません。
パラドックスと、その証拠としての日本
もう半分の議論は、個人ではなく国についてのものです。リチャード・イースタリンの主張は、ある時点の一国のなかでは豊かな人ほど幸福だが、数十年の経済成長は国全体の平均幸福度を上げない、というものでした。
その代表例が日本でした。数字は劇的です。イースタリンは一九九五年にこう書いています。「一九五八年から一九八七年にかけて、日本の一人当たり実質所得は驚くべきことに五倍になり、生活水準は米国の約三分の二に達した。(中略)この三十年におよぶ前例のない生活水準の向上にもかかわらず、平均的な主観的厚生に改善はなかった」(訳)。レイヤードもフランクもカーネマンも、この一節を引いています。
ベッツィ・スティーブンソンとジャスティン・ウォルファーズは原資料に戻りました。内閣府の「国民生活に関する世論調査」、一九五八年から続く調査です。そこにあったのは、一本の時系列ではありませんでした。一九五八年から一九六九年までの設問は「家庭生活」への感じ方を尋ねており、一九七〇年以降は生活全体の満足度を尋ねています。選択肢の最上位は「満足とは言えないが、このままでいけばまあよい」から「完全に満足とは言えないが、満足している」に書き換えられました。設問と選択肢は一九九二年にもう一度変わっています。五十年間の横ばいに見えていたものは、四つの異なる質問をつなぎ合わせたものでした(Stevenson & Wolfers, 2008, Brookings Papers on Economic Activity、46〜48頁)。
比較できる四つの区間として読み直すと、日本の主観的厚生は一九五八〜六三年に上昇し、一九六四〜六九年にも上昇し、一九七〇〜九一年はゆるやかに上昇し、一九九二〜二〇〇七年に低下します。低下の始まりは、高度成長の終わりとぴたりと重なります。二人の結論は、日本の主観的厚生は一人当たりGDPにおおむね連動しており、成長が速い時期にいちばん速く上がった、というものです。
イースタリンは同じ号で反論しており、譲ってはいません。論争が終わったふりをするつもりはありません。ただ、レイヤードもフランクもカーネマンも引いた証拠が、研究者の足元で変わっていた調査票に依存していた。政策の根拠にする前に、知っておく価値のある事実です。
いま日本が測っているもの
その論争のあと、日本は他国があまりやっていないことを始めました。二〇一九年二月、内閣府が「満足度・生活の質に関する調査」を開始し、毎年一万人規模に、生活全体の満足度を〇点から十点で自己申告してもらい、あわせて十三分野の満足度を尋ねています。目的は、GDPだけでは捉えきれないWell-beingを「見える化」することだと明記されています。
二〇一九年五月二十四日に公表された第一次報告書は、総合主観満足度の平均を五・八九点としました。収入との関係についての知見が、腰を据えて見るべきところです。世帯年収別の満足度は「山型」になります。年収二〇〇〇万〜三〇〇〇万円までは上がり、そこで頭打ちになり、それ以上の年収では満足度がゆるやかに下がります。金融資産も同じ形で、一億〜三億円で頭打ちとなり、三億円以上では低下します。低い側の傾きは急で、年収三〇〇万円を境に、十点満点で約〇・五ポイント上がります(内閣府 第1次報告書、二〇一九年五月二十四日)。
同じ報告書には、もう一つ知見があります。私たちが壁に貼っておきたいのはこちらです。頼りになる人が五人以上いる回答者では、ふだんなら満足度を大きく引き下げる要因が、そこまで効きませんでした。世帯年収一〇〇万円未満と、健康状態がよくないこと。この調査で最も重い二つの下押し要因が、頼れる人の多い回答者ではあまり働かなかったのです。
その後、平均値はほとんど動いていません。第八回調査は二〇二六年二月二十七日から三月十四日に、一〇,六三二人を対象に行われ、生活満足度は五・八六でした。内閣府はこの推移を「一進一退」と表現しています(内閣府 満足度・生活の質に関する調査報告書2026、二〇二六年七月三十一日公表)。読み込みすぎる前に二点だけ。標本はインターネット調査のパネルです。そして七年は国の平均値を語るには短い期間です。統制された比較ではありません。政府自身の物差しがそう言っている、というだけのことです。
証拠が尽きるところ
二つの研究群を並べて、そこに何が入っていないかを見ておきます。
どちらも「足る」がいくらかを教えません。対数の曲線が渡してくるのは価格表であって、止まる場所ではありません。次の倍増は前の倍増の二倍かかり、得られる上昇はほぼ同じ。これは交換レートについての事実です。交換レートについての事実が、いつ取り引きをやめるべきかを教えたことは一度もありません。二〇二三年の論文は、これをさらに厳しくします。最も幸福な層では、収益は加速するのですから。数字が欲しくても、研究のほうが差し出してくれません。
そのお金をどう使うべきかも、どちらも教えません。どちらの研究群も、収入を、本人による本人の生活の評価と突き合わせています。そのお金が他の誰かに何をしたかを尋ねる設計には、なっていません。
ここから先は実証の問題ではなく、文化の問題になります。何を山の頂とみなすかは社会が決めることで、調査から読み取れるものではありません。日本のデータは、別の頂の手ざわりを少しだけ示しています。頼れる人が五人いることは、低い年収がその人の生活を痛める以上に、その生活を守っていました。それで順位がつくことはありません。深夜二時に電話できる相手の数を競う一覧表は、存在しません。
私たちは、何をしようとものさしは現れると考えています。その議論は「希少なのは地位である」に書きました。現れる以上、問いは「それが何を数えるか」になります。お金は資源を動かす道具としては優秀で、人を並べる道具としては粗い。ここまでの研究がその理由です。よく測れて、現実のなにかを予測して、そして人生の面白いところが始まるちょうどそこで、届かなくなります。
私たちが言い張っていないこと
「足る」の手前では、お金は決定的に重要です。年収三〇〇万円のところの傾きは、その重要さの一つの測定値でもあります。お金が悪いとか、給料を上げようとする人が間違っているとか、そういう立場を取ったことは一度もありません。イースタリン論争についても、決着したとは考えていません。スティーブンソンとウォルファーズが日本の証拠に異議を唱え、イースタリンが応答し、議論は学術誌のなかで続いています。代わりの数値を提案するつもりもありません。人の貢献を一つの点数にまとめれば、置き換えたはずの病理をそのまま引き継ぎ、そこに独自の病理を足すことになります。
主張はもっと小さなものです。お金と幸福についての実証的な問いには、答えがあります。そしてその答えは、どう生きるかを決めてはくれません。そこは、はじめから私たちの側の仕事でした。
参考文献
- Killingsworth, Kahneman & Mellers (2023), “Income and emotional well-being: A conflict resolved,” PNAS 120(10):e2208661120 — 米国の就業者33,391人・1,725,994件の瞬間報告。横ばいは幸福度下位15%でのみ確認され、上位30%では10万ドル超で加速 — https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10013834/
- Kahneman & Deaton (2010), PNAS 107(38) — https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.1011492107
- Killingsworth (2021), PNAS 118(4) — https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2016976118
- Stevenson & Wolfers (2008), “Economic Growth and Subjective Well-Being: Reassessing the Easterlin Paradox,” Brookings Papers on Economic Activity — 日本に関する節。イースタリン1995年の引用と、1970年・1992年の設問変更について — https://www.brookings.edu/wp-content/uploads/2008/03/2008a_bpea_stevenson.pdf
- Easterlin, “More on the Easterlin Paradox: A Response to Wolfers,” Brookings — https://www.brookings.edu/articles/more-on-the-easterlin-paradox-a-response-to-wolfers/
- 内閣府「満足度・生活の質に関する調査」に関する第1次報告書、令和元年五月二十四日 — 総合主観満足度の平均5.89点、世帯年収別の「山型」、頼りになる人の数による緩和効果 — https://www5.cao.go.jp/keizai2/wellbeing/manzoku/000107866.pdf
- 内閣府「満足度・生活の質に関する調査報告書2026」(概要)、二〇二六年七月三十一日公表 — 第8回調査、10,632人、生活満足度5.86 — https://www5.cao.go.jp/keizai2/wellbeing/manzoku/file/summary26.pdf